美しい男

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「藤子さんは、もういいって言ってるんです。 勝手なことをいっぱいして、充分生きたからって」 「母が充分生きた、というなら、それでいいじゃないですか。 そうとしか私には言えません」 私は冷たい娘にふさわしい声音を出すべく、低いトーンでゆっくりと喋った。 母のことは、それなりに時間も使って、自分の中で処理した、重たい思い出だ。 思春期真っ只中の小娘だった頃の一番重たい思い出。 今さら母を憎いと呪ったり、恋しいと嘆いたりするほど、私は母を思ってはいない。 薄情かもしれないが、そうしたのはまぎれもない母である。 母を想って泣いていた頃、母は戻っては来なかったんだから。         りーんりーんと虫が鈴の音を震わせる季節に母は去った。 母のことを思い続けたら、母のことで感情を揺らし続けたら、心が壊れてしまいそうだった。 私もまた捨てたのだ。 母を捨てて、楽しいことを楽しいと感じるように、美しいものを美しいと思えるように生きていくことを、私は選んだのだ。 もがきながら、選んだのだ。
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