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しばらく私たちは無言でコーヒーを飲んだ。
コーヒーはすっかり冷めていた。
それにしても滑稽だ。
私たちを見て恋人同士と思う人はいるかもしれないが、母親の恋人と捨てられた娘と思う人はまさかいないだろう。
事実は小説より奇なり、ってこういうこと?
「正直にいうと…」
男は口を開いた。
「僕の我儘なんです。
藤子さんに万一のことがあったらと思うと恐くて仕方なくて。
だけど藤子さんは僕の言うことを聞いてくれない。
でもあなたなら。
あなたの言葉ならきっと聞いてくれるんじゃないかと思って。
本当に僕は、藤子さんの気持ちも、あなたの気持ちも考えず……」
男の睫毛がみるみる濡れていく。
「……っ…藤子さんを失いたくないんだ…」
あんまり静かに、男が泣くものだから、私はすっかり見惚れていた。
あらあら、まぁまぁ、そう思いながら見ていた。
何の曇りもない涙というものは、ひたすらきれいで。
その美しさには、人をひれ伏させる力がある。
何でもしてあげたくなるのだ。
涙の前に身を投げ出したくなる。
私はバッグからハンカチを取り出すと、そっと彼の手元に置いた。
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