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「あー、暗いねぇ? ウサギちゃん。」
腕の中に抱えた小さな動物に私は語りかけた。温もりが小さく揺れる。
でも、本当にマンホールの中って暗いのね。
辺りを見回したってなーんにも……あれ?
ふと気が付いた。ワタシが座り込んでいる正面。そこに白に近い灰色の何かが光っていた。大きな何かの目みたい。白い中に黒い丸――眼球があるもの。
「アナタ、だーれ?」
声をかけたら目がぎょろりと動いた。こんなに目の大きい動物ってなにかしら?
「俺はチェシャ猫。アリス、あんたを導くもののひとつ。」
予想外だった。鳴き声とか唸り声とかが返ってくるって思ってたから。ぎゅっとウサギを抱きしめる力が強くなる。
「アリス、怖がる必要なんてない。アンタに危害を加えるものは今はない。だからアリス。俺の話をよく聞いてくれ。」
淡々とした声色。でも怖くはなかった。なんだか何処かで聞いたことのある声だったから。
「ねぇ、まって。チェシャ猫さん。ワタシはアリスじゃないわ。」
「いや、あんたはアリスだ。あんたは白兎によって導かれたその日からアリス。黒のアリスなんだよ。」
「ううん、ワタシはアリスじゃなくって……。」
彼が何故、ワタシをアリスと呼ぶのか判らなかった。だから、ワタシの名前を教えようと思ったんだけど……
出てこない。
名前が喉から出てこない。ううん、名前自体がワタシわからなくなっちゃってる。ワタシ、落ちたときに頭でも打ったのかな? 自分が誰だか判んなくなるなんて……。
「アリス。今はどう足掻こうとアリス以外でなくなることなんざできない。アリス、黒のアリス。もう一度いう。俺の話をよく聞いてくれ。」
彼の言っていることの意味がよくわからなかった。けど、名前が思い出せない以上呼び方に不自由しちゃうわけだし、もう「アリス」って呼ばれることには突っ込まないことにした。
黙って一度だけこくりと頷く。こんな暗闇でワタシの行動が見えるかちょっと心配したけど要らない世話だったようだ。
「いいか? アリス。あんたはまず、白兎を追って白のアリスを探すんだ。」
「ねぇ、さっきから言ってる白兎って……この子のこと?」
抱えていたウサギを両手で持ち直し、チェシャ猫のほうに向ける。あの白い目が下へ動いた。ウサギの毛が逆立つのを感じた。
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