25人が本棚に入れています
本棚に追加
その話を聞いていた老人は、自分のベッドの側にあるはずの老眼鏡を手探りしながら答えた。
「ばぁさん、そりゃあ違う話じゃ。わしが聞いたんは、もっと愉快な話じゃったかのう。
まるで地球が逆さまになったとか、ねずみが空を飛んだとか……。
ああ、そうじゃ、それそれ、眼鏡を探す話かもしれん」
老人は髪と同じ白髪の、腰まである長い髭をなでながら、嬉しそうに手を伸ばした。
その手のひらに老眼鏡を置き、太った女性は呆れ顔で自分のベッドへと腰かけた。
「じーさん!
あんたは確かにじーさんだけど、私はばーさんじゃないからね。こんな綺麗な肌の、ばーさんなんかいやしないよ!まったく……何で私がこんなじーさんなんかの相手をしなきゃいけないのかねえ。
地球が逆さま?
話もままならないじゃないか。まったく……もっとこう、ピチピチした男でも……」
女性は呟きながらも横になり、テレビの電源を入れた。
テレビの中では、面白い恰好をした男がバンジージャンプを始めるようだ。
男は満面の笑顔で手を振り回し、周囲の笑いをとっている。
「じーさんも、あんくらいしたらどうだい。まあ……もう二度とあんたと話なんかできなくなるだろうがねぇ……」
鼻で小さく笑いながら女性は老人との間のカーテンを引き、テレビに集中した。
「あぁ、思い出したわい。
確か黄色い花に囲まれて、自由を手にいれる少年の話じゃったかのう……。そうじゃ、でも確かあの先は幸せだったかどうだったか。
向日葵は、プライドが高いからのう」
老人の声は誰にも届かなかった。
彼は優しい目の奥に老人とは思えない輝きを放ちながら、ゆっくりと髭をなで、楽しそうに笑った。
「どんな物語になるか、今からが楽しみじゃわい。」
老人はゆっくりと目を閉じながら言うと、すぐに静かな寝息をたて始めた。
「おや、もうそんな時間かい!」
テレビの端に映る小さな時刻案内を確認し、女性はテレビの電源を切った。
「私もそろそろ寝ようかねえ。いい時間だし」
そう言って窓際のベッドへ移り、カーテンを開けて大きく欠伸をするとそのまま横になった。
二人だけの病室は、次第に小さな二つの寝息と、たった今12時を指したばかりの時計の針の音だけになっていった。
そして、この白い病室の壁に飾られている一枚の太陽の絵は、今まさに輝き出したかのように光を放ち始めていた。
最初のコメントを投稿しよう!