つまらない日常

10/10
前へ
/31ページ
次へ
  その話を聞いていた老人は、自分のベッドの側にあるはずの老眼鏡を手探りしながら答えた。   「ばぁさん、そりゃあ違う話じゃ。わしが聞いたんは、もっと愉快な話じゃったかのう。 まるで地球が逆さまになったとか、ねずみが空を飛んだとか……。   ああ、そうじゃ、それそれ、眼鏡を探す話かもしれん」   老人は髪と同じ白髪の、腰まである長い髭をなでながら、嬉しそうに手を伸ばした。 その手のひらに老眼鏡を置き、太った女性は呆れ顔で自分のベッドへと腰かけた。   「じーさん! あんたは確かにじーさんだけど、私はばーさんじゃないからね。こんな綺麗な肌の、ばーさんなんかいやしないよ!まったく……何で私がこんなじーさんなんかの相手をしなきゃいけないのかねえ。 地球が逆さま? 話もままならないじゃないか。まったく……もっとこう、ピチピチした男でも……」   女性は呟きながらも横になり、テレビの電源を入れた。 テレビの中では、面白い恰好をした男がバンジージャンプを始めるようだ。 男は満面の笑顔で手を振り回し、周囲の笑いをとっている。   「じーさんも、あんくらいしたらどうだい。まあ……もう二度とあんたと話なんかできなくなるだろうがねぇ……」   鼻で小さく笑いながら女性は老人との間のカーテンを引き、テレビに集中した。       「あぁ、思い出したわい。 確か黄色い花に囲まれて、自由を手にいれる少年の話じゃったかのう……。そうじゃ、でも確かあの先は幸せだったかどうだったか。       向日葵は、プライドが高いからのう」   老人の声は誰にも届かなかった。 彼は優しい目の奥に老人とは思えない輝きを放ちながら、ゆっくりと髭をなで、楽しそうに笑った。   「どんな物語になるか、今からが楽しみじゃわい。」   老人はゆっくりと目を閉じながら言うと、すぐに静かな寝息をたて始めた。   「おや、もうそんな時間かい!」   テレビの端に映る小さな時刻案内を確認し、女性はテレビの電源を切った。   「私もそろそろ寝ようかねえ。いい時間だし」   そう言って窓際のベッドへ移り、カーテンを開けて大きく欠伸をするとそのまま横になった。   二人だけの病室は、次第に小さな二つの寝息と、たった今12時を指したばかりの時計の針の音だけになっていった。   そして、この白い病室の壁に飾られている一枚の太陽の絵は、今まさに輝き出したかのように光を放ち始めていた。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加