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いつか知り合いを観戦を誘ったとき、「自分がプレーするならまだしも他人がプレーするのを観て楽しいと感じる人の気持ちが理解できない」と言われたことがある。
確かにひいきのチームが勝って喜んだところで、現実の自分の何かが変わるわけじゃない…
現実社会、家庭、友人、恋人など人間関係、そして自分自身というフィールド(戦場)において、順風満帆に勝ち抜いている人達にとってはもしかすると必要でないものかもしれないし、一試合一試合の結果に一喜一憂するサポーターの姿は彼らにはきっと滑稽に映っているんだろう…
自分の生活と直接的には無縁である「非日常的」な世界に感情移入し、応援すること。それは現実逃避の行為と言えるのかもしれない。
しかし、人生の「勝ち組」「負け組」という言葉があるが、人生を負け知らずで最後まで駆け抜けていく人がいったいどれくらいいるというのだろう。
人生とは決して平坦な道ばかりではない。
しっかりと前を見据えて歩いていても、時には向かい風にあおられ、つまずき、転んでしまうことだってあるだろう。
けれども、傷つき敗れた後にこそその人の真価が問われ、そこからはい上がってきた時に人は初めて“強さ”を身につけることができる。
それを「成長」と人は呼ぶ。
決して負けないことが強いというわけじゃない。
敗北の屈辱や憂き目を知らない者に真の「強さ」は語れないと思う。
今日の勝者がもしかすると明日には敗者になっているかもしれない。
例え途中で倒れたとしてもまた立ち上がればいい。
肝心なのはそこで諦めてしまわないこと。
しかし、おそらく人は苦しいとき、困難や壁にぶちあたってるとき、何らかの希望を見い出さなければついには歩けなくなってしまうんだと思う…
すなわち立ち上がる為、戦う為には糧が必要なんだ!
例えその糧(希望)の対象が自分と直接関わりの無い存在だったとしても果たしてそこに問題があるのだろうか?
「現実逃避でなにが悪い⁉」と言いたい。
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