花盗人

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 咽返りそうな芳香の中で その人はただ一つ儚い物のように佇んでいる。 薄く開いた唇が小さく微笑む、困ったように。 悲しい顔をしないで。 そう言っているのが解る。 耳に届く音は無いけれど。 サクリと無造作に掬い上げてそれに頬を寄せて瞼を伏せる。 その時に落ちる睫毛の影ですら 彼女という生き物を染め消してしまうようで 言いようのない焦燥感が僕の胸から溢れて止め処ない。 拒否の言葉も後から後から生まれてくるのに 喉につまって出てこない。 そして何も出来ない僕は手を伸ばす。  高い空に密度の高い入道雲が登っている それはガクガクと揺れる視界に広がり尽くしている。 整備されていない農道、その坂道を下って僕は家に帰る。 向かえ盆を数日後に控えて部活も送り盆まで休みになる。 暇を持て余すことが目に見えていて、毎年憂鬱になる時期 の筈だが、今年は少し様子が違う。  坂道を下りきると小さな林と民家が見える。 僕の家だ。 木々と家の隙間から 遠目には白っぽく映るハウス連が見える。  僕の家は花農家を生業にしている。 よって、家の敷地の九割を占めるハウスや畑には 隙間もなく花を取り揃え育てている。 仏花だ何だと夏の最盛期に忙しい筈のそこには大人たちが難しい顔をして額を寄せ合っている。 何か作業をするでもなく、だ。 話題は想像にたやすい。 それは僕の憂鬱を吹き飛ばしている原因と等しいだろう。 深刻な大人達と僕のこの浮いた気持ちが同じ事柄から来るなんて バレでもしたらどんな叱責が向かってくるやら。 考えるまでもない、考えたくもないが。 まあ、それほどに大人たちの現状は困窮し尽くしている。 ようだ。
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