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「行かないでくれ!」
力強い手が背後から私の肩を掴んだ。
振向かされ、引き寄せられる。
重なった体から伝わる波打つ心臓の音。
頭の近くで繰り返される荒い呼吸が、私の聴覚を刺激する。
きっと全力で走って来たのだろう、このどこまでも愚かな男は。
「貴方の事愛してない」
「知ってる」
「他に愛してる人がいるわ」
「…知ってる」
目前にある広い胸板を押して、申し訳程度の距離を作った。
見下ろしてくる縋るようなまなざしは、相変わらずどこまでも真っ直ぐで。
愚直な男。懲りない熱意に悪態を吐く。
そんな男の熱っぽい視線にいちいち心を揺さぶられる私は、この世で最も愚かな女か。
近付いてきた彼の真摯な表情に、耐え切れずそっと目を伏せた。
変わらないその真っ直ぐな瞳が、恐い。
「たとえ君を手に入れる事が出来なくても、俺は君のものでありたい」
ぎゅっと瞼を閉じて、降りてきた彼の唇を今度は拒む事なく受け入れる。
それでも温かい感触が私のそれへ触れる瞬間、浮かんだあの男の顔に、愚かな私はやはり酷く後悔した。
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