開幕

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此所で少うし話は飛びます。それから幾年かの時が経ち、御祖母樣の家に行く事がとんと少なくなりました。多分最後に行った日から、かなりの歳月が流れて居たと思われます。久しぶりに来た御祖母樣の家はあの頃と変わりなく、ひんやりとした感じで埃っぽい匂いが私の鼻をくすぐります。私は安堵しいしい昔氣に入って居りましたあのピアノの部屋へ行き、更にその奥に在る縁側で日向ぼっこをして居りました。原色の緑は毒々しいまでにありまして、空は夏の色に澄み、ムッとする樣な若竹の匂いが致します。私は太陽の氣まぐれで作られる影をじいと見詰めた侭何時間もの時を過ごして居りました。そしてふと後ろを振り向きますると、そこには幽霊が立っております。私は吃驚しいしい眼をいっぱいいっぱいに開いてよく見ますと、それはなんと曾御祖母樣ではございません乎!ええ、ええ、確かにそれは曾御祖母樣の姿をしていらっしゃいますが、まるで生きて居る人間とは思えないのです。肌は蝋の樣に濁りきって、眼は酉の樣に飛び出して、中を見詰めた侭視点が定まりませぬ。私はじいと曾御祖母樣の耳朶を見詰めました。この耳朶には血等通うて居るのかさえ疑わしいのです。手の血管は青白く浮いていて、それは何か気味の悪い昆蟲が皮膚の下を蠢いて居る樣にも思われます。私はだんだんと怖くなって参りまして、そそくさとその場を離れ親の元へと行きました。私には何故か曾御祖母樣がとても恐ろしい生き物の樣に感じてしまったのです。昔はあんなに慕って居た筈の曾御祖母樣が、もう全く別の人間の樣に思えます。いえ、いえ、それどころか今の私は言い知れぬ恐怖を曾御祖母樣に感じて居るのです。その恐怖が何なのかと問われても幼い私には説明できませんでした。ただその感覚は、人間と云う生き物の感覚で無く、もっと本能的な動物的な恐怖であった樣に思われます。
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