炎のストッパー津田恒美

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南陽工業高校から社会人野球の協和発酵にてプレイ 1981年ドラフト1位で広島カープに入団 1年目は11勝6敗で球団初の新人王を獲得する。 しかし二年目以降は怪我に悩まされる。 だが1986年リリーフ投手として復活 カムバック賞と共にチームに優勝をもたらす。 1988年には肩痛に悩まされリリーフで9連敗するなど 「サヨナラの津田」と言われる。 1989年には12勝5敗28セーブをあげセーブ王を獲得。 しかし1990年のシーズン終了後から頭痛や体の変調に悩まされ 1991年の対巨人戦で無理をして登板すると わずか9球でマウンドを降りる。 このわずか9球のマウンドが彼の最後の登板だった・・・ 病院に入院したところ悪性の脳腫瘍が見つかり同年限りで チームを引退させられる。 一時的には奇跡的な回復を見せキャッチボールが出来るまでに回復したが 1992年秋頃に病状が悪化し再度入院。 1993年7月20日32歳の若さでこの世を去る。広島市民球場にはその功績を讃えられメモリアルプレートが設けられている。 絶頂期には阪神の ランディ・バースをストレート3球で三振を取ったり ストレートをファウルした巨人の原辰徳が左手を骨折するほどの記録を残している。
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