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1982年ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団
天性のバッティングセンスを持ち
2年目の1983年に84試合の出場を果たし
打率3割2分6厘の好成績を残し、翌年からレギュラーに。
原辰徳やクロマティらと共に将来を有望視され、
誰もが巨人の4番を背負う男と期待されていた。
しかし、1988年7月6日対中日戦
通算100本塁打を打った直後の守備で
左中間のフライを捕ろうとした
センターの栄村忠広と激突し、左膝の4本の靭帯のうち3本を完全切断してしまう大怪我をする。
この事故で1年以上のリハビリ生活を余儀なくされた。
復帰後は左の代打の切札として
福王昭仁、後藤孝志らと共に活躍。
1989年には優勝を決めるサヨナラホームランを打った。
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