【02.指】

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「きみにくちづけるには、くちびるだけじゃもう足りないんです」 そう言って突然、 私のデコルテを指先で弾(はじ)き始めた。 ピアノを奏でるように。 「この指先すべてが僕のくちびるだと思って下さい」 頬、額、瞼、二の腕の裏、手の甲、うなじ、背骨、膝頭・・・ 二本の手で、十本の指が、私の体を奏でる。 一瞬身をすくめてしまった。 怖い、とさえ思った。 彼に身を任せるのは初めてではない。 でも、こういうことは初めてで。 「どこに、どんなふうに触れてほしいですか?  ちゃんと言葉で説明しなさい」 ピアニストとして成長著しい時期に腕を痛め、非常勤の音楽教師で食いつなぐ彼と 塾の国語・英語講師のアルバイトの私。 果たせなかった夢、挫折、喪失感。 焦燥、諦め、どうにもならない無力感。 それでも手放せぬ希望。 危うい、不安定な心の二人が寄り添い、手を繋ぎ 生きている恋。 彼の指先は彼の情熱をくちびるより雄弁に伝え、 私は、すぐに、言葉を失い、吐息混じりの声は 不規則な歌の破片となり、 空に散っていく。 美しい無音の音楽の前では、言葉は完全に敗北する。「きみのまなざしが僕の楽譜。僕にその目で今の気持ちを伝えて」 熱い涙が溢れる目で、彼の目に訴えた。 早く、その音楽で私を高みへと抱き上げて。 「きっと僕はきみを奏でるためにピアノを学んだ。 きっときみは僕に奏でられるために生まれたピアノ。」 ・・・吐息と情熱のハーモニーが無音の旋律となり、 あとは 闇の中に 溶けていくだけ。image=86655753.jpg
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