548人が本棚に入れています
本棚に追加
「すみません、部長」
ようやく整った呼吸で、遠藤にそう告げる。すると、遠藤の表情が驚くようなものに変わった。
「お前は…俺の部署の社員か?」
「……はい」
顔も名前も覚えられていない事実に、悠紀は心の中で落胆した。だが、無理もないような話である。新入社員の悠紀が遠藤とまともに会話を交わすのは、実を言うと今日のこの瞬間が初めてだったのだ。
研修時にも顔を合わせてはいたが、悠紀の他にも多くの社員がいたため、多忙を極める遠藤の記憶に悠紀が留まっていられる確率というのは本当に低いものなのだろう。
「自分の部署の人間の名前も覚えていないとは…。悪いが、名前を教えてくれないか」
「…佐倉悠紀といいます」
「佐倉か。…覚えておく。本当にすまないな」
非常に申し訳ない、という態度をとる遠藤に、悠紀は驚きを覚えながらも、顔や名前を覚えてくれたのだと思うと、嬉しさが込み上げてきた。ふと、悠紀は遠藤のちょっとした異変に気付き、首を傾げた。
「あれ…そういえば部長、眼鏡はどうなさったんですか?」
悠紀の言う通り、遠藤は眼鏡を愛用していた。普段から眼鏡をかけている人間が、突然眼鏡なしに過ごしているのを見ると多少は異変を感じてしまうものである。
最初のコメントを投稿しよう!