鷺山城

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鷺山城

〓岐阜県岐阜市鷺山 〓山 城 〓歴 史 長良川を挟んで南岸の金華山と対称的な位置にある。岐阜市より本巣郡へ入る途中にあるこの鷺山は、東西200m・南北500mの独立丘で、標高68mの少丘であるが周辺の平地の中では唯一の高地で、展望も良く、古来、城跡として目立ってきた。東山道が北の山ふもとを横切り、南に長良川を控える。 『美濃明細記』には文治の頃(鎌倉時代)に佐竹常陸介秀義が居城したとある。秀義は新羅三郎義光四代の孫、佐竹常陸介隆義の子で、美濃国山田郷に地頭職を与えられていた。秀義以後の鷺山城は明瞭ではないが、戦国期に入ると土岐一族が拠り、最後の美濃守護となった11代頼芸はここに住んだという。頼芸の重臣斎藤道三も、美濃国を制覇したのち隠居所とした。 天文17年(1548)、斎藤規秀(道三)は稲葉山城(金華山上の岐阜城)を子の義竜に譲り、みずからは鷺山城に隠居し道三と号した。 義竜は道三の実子ではなく土岐頼芸の子であることを日根野弘就、武井助直らに知らされ、父・頼芸を迫った道三を恨み、父子は離叛した。弘治元年(1555)義竜は道三が自分の代わりに、跡を継がせようとした二人の弟(孫四郎、喜平次)を殺した。道三は山県郡北野城(岐阜市三輪)の鷲見氏の城に逃れた。翌弘治二年(1556)再び道三と義竜の軍は長良川で戦ったが、崇福寺の門前で、道三は討死した。道三の死後、鷺山城は廃城となり、この頂上が城で城址を示す遺構は残っていない。道三の隠居所には長良川の水を引いて庭園が造られていたといわれるが山頂同様に遺構はない。 道三が東濃の豪族、長山城主(現・可児市)明智光継の娘・小見の方と結婚し、天文四年(1535)女子を出産。この姫が織田信長の正室になった濃姫である。母娘は鷺山城に住んでいたので、古書には濃姫を『鷺山殿』とも書かれている。 昭和59年、鷺山桜の会を結成し、古墳以来ゆかりのある鷺山に桜や楓を植樹し、鷺山の美しい自然とゆたかな歴史を地域では進んで守り育てようと協力している。 〓マップコード 28705439*00
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