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灰色の肌のエルフが柔らかに笑った。なびく銀の髪を、背後に輝く巨大な月が照らしている。
「旅立ちには良い夜ですね」
私は彼の神々しさに打たれ、ぎこちなくうなずいた。
数々の異種族――人を始めとしてゴブリン、ドワーフ、エルフ等の住む美しい世界『塵芥』。
うっそうと茂る巨木の森。静かに、また激しく流れる緑青の川や海。無機質な天界とは比べ物にならぬ、自生生物と彼らを取り巻く自然。
それらは触る事さえためらう美しさを持っていた。
その楽園の中にある、深い神の森の一つ。彼はそこに住む希種、高次エルフの一人だ。群れを成さない彼らは我ら天界人と親しい。
だがそれは古の話。
今天界は魔界との戦に明け暮れ、友好所ではなかった。
智天使である私は、その戦の際に、四枚翼の内一枚を悪魔に斬り落とされた。それが生え変わり癒えた今、いまだ続く戦に、私はすぐに向かわねばならない。
大いなる我らが父は、私の癒しに一時の休息を許した。だがもう、行かねばならない。
あの戦場に、行かねば……。
「カシュレス……」
名を呼ぶ。
だがただ、去りがたかった。私は、行かなくてはならないのに。
「なんですか、私の天使殿」
素直に笑い返してくれる彼。
初めて見た時からずっと続く胸の痛みが、波の様に私を責める。訳のわからない……それでいて幸せで、満ち足りた休息の時。
私は彼をしっかりと眼に焼き付けようとした。
「ミラヌエル、そろそろ月の門が閉じます。お急ぎなさい」
月が異界を繋げる門である事はあまねく知れ渡る事実であった。
低く落ち着いた声が私を急かす。そして私の手に剣を手渡した。私の剣を。
「どうか貴女が無事任を果たせますように。私も陰ながら祈ってますから」
指先の触れた場所が妙に生々しい。
「はい。カシュレスも」
私は訳の分からない何かを必死で押し殺しながら答え、羽ばたいた。
そうして私達は別れた。
何の約束もなく……。
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