静かの館

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とある朝 霧の深い朝 光の薄い朝 ひとつの黒い人影が歩いていた 影は 夜の闇よりも黒い 朝に浮かんだ真っ暗な人影は 大きな屋敷をめざしていた 荒れ果てきった人里で いくさに荒らされ犯された 人の姿のない村で たった一つ聳え立つ 宴の笑いの音のたつ 雅な館に足を向け 影はぽつんと歩いていた 館の前で槍を構えた いかつい面構えの門番は 大柄な二人の門番は 館に近づく影を咎めた おい と声をかける間もなく 門番の野太い喉を 疾風の刃がつるりと通った あっ と声をあげる間もなく 二人いたはずの門番は 音もなく地に臥した 影は 何事もなかったかのように するりと館に入っていった やがて大きな大きな館は たった一つの影に支配された 幾人もいたはずの館の守り手 選りすぐったはずの剣の猛者達 影の刃に音もなく 鍛えぬいたはずの力と技が 儚くも露へと消えた 影の刃はあまりに速く 舞っているはずの鉄の刃が 強く重いはずの刃が 誰の眼にもとまらなかった 館の主は慌てふためき 影に命乞いをした 『これから大きないくさがある 是非とも勝たねばならぬいくさ 勝てば悲願の叶ういくさ 今日この日に死ぬわけにいかぬ』 涙を流して訴えた 影はたったひとこと “そうか” とだけ言った 館の主はほんの一瞬 わかってくれたかと安堵した ほっとため息ついた口元から 赤い流れがほんの一筋 哀れ雅の館の主は 崩れるように絶命した 一時前は栄華にあった雅の館 今は無人の静かの館 影は音の一つもなく 何事もなかったように 静かの館をあとにした 後日 戦には影武者がたてられた 味方は三万 敵は三千 負けるはずのない戦 敵の見事な奇襲により 勝敗は逆転した 雅の館の主は ほんの数日だけ 寿命が縮んだだけだった
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