記憶と枷

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「はいはい。煮るなり焼くなり好きにすればいい。でもフィスの名前を知っているのは俺だけになったから、もう替えは利かない」 「意に染まぬ者を傀儡にする術は一族の十八番よ。せいぜい旦那様には逆らわないことね」 釘を刺したつもりだったのだが、いまいちパンチが弱かったらしい。 決めたつもりが決まっていない、というのが男心には結構痛いものがある。 「その前に自害してるさ。そんなに抗戦できるほど強くないし、矜持もあるし」 「あんたの矜持は家畜の糞より使えないんだから。死んでも千害あって一利なしっていうあんたみたいな人の方が珍しいわ」 口が減らないのは女の特権かと思うほど、どいつもこいつもああ言えばこう言う。 妙なところ図太いくせして、意外なところは繊細なのだ。 育った環境だけが原因ではない。多分。 「じゃ、俺は別にお前らがどうなってもいいから潔く死んでやろうか。今から俺が自首すりゃ済む話だからな。フィスも道連れになるから、千害が万害になる」 「……逆手に取って脅すなんていい根性してるじゃないの」 切れの悪いマカッツの返答に、久々の口論合戦の勝利を確信した。 そこで調子づいてしまうのが己の欠点なのだが、マカッツ曰く『最悪の趣味嗜好』をしているらしいので、あえてそこを突くのは無粋というものだ。 「一族総出で俺を生かす方法でも考えておくんだな。何ならあいつを拝み倒して臨時集会の招集でもしたらどうだ。フィスの命は俺次第だってこと、忘れるなよ」 言ってから、思った。 これ、無茶苦茶悪役の典型的台詞じゃないか。 我ながらなかなか気障なことがあっさり言えたな、と空事のように考える。 「じゃ、先に仕事場行ってる。フィスはちゃんと完治してから寄越してくれ」 これでとどめとばかりに話に終止符を打ち込んだ。 「……さっさと、去ね」 決して温和とは言い難い声音に、ささやかな快感をが広がる。 その言葉に僅か酔い痴れ、踵を返す。 「説明、よろしく」 後始末を責任転嫁して、把手に指を絡める。 そのまま引いて、北向きの薄暗い廊下へ踏み出した。 ひんやりと、陰気の強い黴臭さがまつわりつき、肺にまで滑り込む。 ぎぃ、と木目に響くような蝶番の軋む音が、いやに耳についた。 未来の呻きを、少しだけ早く……聞いていたのかもしれない。
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