記憶と枷

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「あーもう…仕事以前の問題だろこれは…」 ここ三日、これと同じ台詞を一体何回言ったのか。 全く、新設部署ならそれなりの場所を提供して然るべきではないのか。 まかり間違っても、こんな『崩壊寸前』の廃墟ビルを宛がうのはまず有り得ないと言っていい。 なのに、それを『当然』にしてしまえるマカッツの手腕は、やはり一族直伝の教えのせいか。 ふと振り返り、扉の向こうにとどまったままの気配に苦笑する。 昼頃から、ずっと。 あんなことをしてしまったから、躊躇うのはごく自然なことだ。 あればっかりは悪いことをしたな、と後で少し反省した。 俺はとうとう片付けを諦め、扉の前に立つ。 動く気配は、ない。 気づいていないのか、後ずさることもなかった。 徐に扉を引くと、目を見開いた彼女がいた。 「どうぞ。まだ中は仕事になるほど片付いていませんが」 一歩退いて中へと促したが、やはり入るのを戸惑っているようだった。 こんなに頼りなく見える、人だっただろうか。 「マカッツから大体の話は聞き及びでしょう。立ち話もなんですから」 もう一度促す。 ようやく、足を踏み入れてくる。 そして、目の前の景色にぽかんとしている彼女に、思わず笑みが零れた。 「何の嫌がらせか、粗大ゴミ置き場以外のなにものでもないようで。手をつけようにも手をつけられず…」 「…ちょっと酷いですね」 落書きだらけの仕事机、破れ目ばかりの椅子、魔力の切れたガラクタ家具に何故か酒瓶、そんな山々が峰を連ねて部屋を占領していた。 そんなんだから、隅から隅まで埃がびっしり積もっている。 窓を開けたいのは山々なのだが、埃の嵐に見舞われそうで開けるに開けられない。 二人共、犯罪を素知らぬ顔でやることはできても、片付けは…。 互いに同じ事を思っているのか、何だか妙に通じ合うものがあった。 こんなことで通じ合うのは、少々情けないような気が無きにしも非ず、といったところだ。 「今日の分の仕事は私が終わらせてしまいましたから、帰られても問題ないですよ」 逃げ道を、先に用意する。 小さく、手前勝手な詫びの意を込めて。 「いえ。少し、お伺いしたいことがありますので」 幼さの消えた声は、落胆を呼び起こそうとする。 面影をどうしても、探してしまうのだ。 変わらない黒曜の瞳が、静かに自分を見つめていた。 その優越すら感じることを躊躇うほど。
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