記憶と枷

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あの一族と協力するのは虫唾が走るくらい嫌なのだが、フィスのためだけに協力するなら、それが最善だった。 「…何もかも分かってるような事…言うのね」 フィスだけが、知らない。 「どうか、一人で大きな行動はなさらないで下さい。貴女の願いは、遠からず叶えさせて差し上げます」 フィスが、少しだけ表情を動かした。 だが、それは肯定とも否定とも取れない。 「…悪いけど、私は私で動く。誰の指図も受けない。私が決めて、私がやりたいようにやる」 黒曜の瞳に刻み込まれている意志は、異常なほど頑なで。 それが、俺とフィスとの空白であり溝でもある隔たりなのだ。 「…明日からの仕事はその棚に置いてあります。どうぞ、よろしくお願いします」 やはり、伝わらない。 閉ざされた心は、誹謗中傷の言葉を喰い散らし、差しのべられた手に背を向ける。 俯いて、ただただ歯を食いしばる。 泣くことすら、忘れてしまったように。 「分かりました」 事務的な返事が返ってくる。 間違ってもこれでいいとは思っていなかったけれど。 どうか、願わくば。 望むらくは。 フィスがフィスであれますよう。 揺れる緋色の髪に、願う。 バタン、と戸が閉められた音にはっと我に返る。 相当ぼーっとしていたらしい。 冷めきってしまった埃まみれのコーヒーを流しに置いて、宛名の書かれていない封書をしまい込む。 まだ、時間はある。 でも、思ったほど残されていない。 既に…フィスの魔力が回復し始めている。 全く、本当に化け物だ。 今度こそ殺されるのは、俺かもしれない。 本能的な恐怖を振り払おうと腐心しながら。 涙目になった。 何故なら、脛を椅子にぶつけたから。
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