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足にぬるいものが触れて、緩慢な所作で足元を見やった。
散らばる破片。
カップを肘に引っ掛けてたたき落としてしまったらしいのだが、割れた音が聞こえなかった。
かなりぼうっとしていたらしい。
いつもより速い鼓動と、冷たい指先。
殺伐とした考えが浮かんでは消えていく。
割れたカップの欠片を拾おうとして、指が切れた。
床に広がった冷めきった紅茶に、とろりと赤色が溶け出す。
指先だからこその鋭い痛みに一瞬、眉根を寄せた。
薄茶の液体に映った自分の顔は、大分ひどい表情をしていた。
あいつに無理矢理女を買わされた時のような顔だ。
情けない。
一人の女が自分を見知らぬ人のように視線を向け、言葉を放ち、背を向ける。
それがこんなに辛いことに変わっていたなんて。
「……は」
乾いた笑いが漏れる。
とことん甘い自分。
それがフィスには頼りなく映るのだろう。
何が護衛だ。
身体も心もぼろぼろなフィスに、もう俺が守って何になる。
現状維持なんて都合のいい話は、所詮夢物語に等しい。
人生が戦場と化した今、そんな悠長な事はしていられない。
時ばかりが過ぎて、気ばかりが急く。
何というざまだ。
彼女の心を開放したいなら、殺してしまえばいい。
その事実から目を背け、耳を塞ぎ、逃げ続けていたのは自分の方だ。
彼女が生きたい、と願っているわけがないのに。
「フィス……」
俺だけの記憶になった、遥か昔。
助けて、くれた。
咎の血筋と忌み嫌われた、この俺を。
繋ぎ留めた楔。
それは、フィスが。
フィスが、くれたのだ。
百年も、前に。
生きていたとは思わなかったけれど。
あの感情豊かだった思い出と引き換えに、何もかもを忘れた眼差しを見るのが辛い。
俺は、お前に何がしてやれる。
俺とお前の望みが重なるには、どうしたらいい。
「望、み……」
お前の、望みは。
何だったのだろう。
言えない名前を抱えて、叫びたくて。
どうせ叶わぬ思いなら、自分の手で壊してしまいたいと繰り返し考えるほどに。
ガタガタと強い風に煽られて、硝子窓が撓む。
雲が切れ、窓から差し込む夕日の筋が床を深い朱に染め上げた。
何も、気づかなかった。
所詮、フィスとの関係なんてそんなもので。
一方通行は、どこまでも俺だけに用意されたものだった。
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