天使と黒色と幕開けと

6/7
前へ
/490ページ
次へ
   少女が飛び降りたのち、兵士長である男の指示で必死に崖下の川を捜索したのだが、結局見つけることが出来なかったのだ。  彼女は〝死んだ〟と考えるのも頷ける。  国王の命令は『蒼氷色の瞳の少女を生け捕りにすること』――その色彩の瞳はとても珍しいと噂に聞く。実際日常で目にした覚えもない。もしかしたら、あの少女が王が捜していた人物かもしれないのだ。その可能性は高いだろう。  否。  彼女の姿を見た男には分かっていた。間違いなく、彼女が国王の求める〝それ〟であると。あの美貌と雰囲気は他を寄せつけないものだったのだから。  頭を抱えたままの男は先程からそのことばかりを考え、水すらも喉を通らなくなっていた。 「後二十分で報告時間か……」  男は苦々しく呟き、深いため息吐き出した。このままでは減俸……いや、地位剥奪か、或いは―― 「ねえ、何を悩んでるの?」  ふっ、と明るい少年の声が耳元で聞こえた。背後から囁かれ、ぞくりと背筋に悪寒が走る。 「うわああああ!」  考えることで手一杯で、周りに気を配っていなかった男は、驚きのあまり椅子から転げ落ちる。そんな男を見て、明るい声の主はくすくすと控え目ではあるが、愉快そうに声を上げて笑った。 「おっ……王子っ!」  慌てて振り向いた男の前に立っていたのは『白の国』第二王子、ジィリアス・リンク・ホワイトである。  笑顔が眩しい、齢十二の少年だ。日に透ける淡い金髪と丸い翡翠色の瞳を持っていた。父より母に良く似たらしく、男にしては愛らしい顔をしている。年のせいもあるだろうが、女の子らしい格好が似合うことは明白だ。彼が笑う度、纏う上質な純白のローブがひらりと揺れた。ジィリアスは、その大きな目を好奇心に輝かせ、ぐっと男に詰め寄る。 「ねえねえ、何があったの? もしかして、父様に失礼なことでもしたの?」 「ジィン」  転がり出る言葉を遮るように、凛とした男の声が愛称でジィリアスを呼ぶ。途端にジィリアスは顔を輝かせ、笑顔で後ろを振り返ると、声の主に抱きついた。 「兄様!」  青年は抱きついて来た彼を両腕で軽く受け止め、呆然としている男に目をやる。それは凍てつくような、酷く冷たい視線だった。 「……ウ、ウィリアム様」  男は後退る。そして、何処か脅えたような、微かに震える声でその青年の名前を呼んだ。
/490ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1073人が本棚に入れています
本棚に追加