序幕

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   静々と『合成獣』が先程の距離を取り戻すように一歩踏み出す。  少女はその様子をただ見つめるだけで、逃げるような素振りも、怖がるような素振りも見せなかった。獣へと向けられた蒼の燐光を放つ瞳が、闇の中で濃い輪郭を描いてぽっかりと浮かぶ。  それは、何処までも深い蒼色で。  獣が少女の何倍もある体躯を目の前で停止させると、彼女はしゃがみ込んだ。壊れ物を扱うかのように刀を地面に置き、真正面から獣と目を合わせる。獣には左目に真新しい大きな刀傷があり、ぱっくりと縦に裂けた傷口から薄紅の肉が覗いていた。無惨にも眼球を潰している深い痕に、少女は眉間の皺を深める。 「血の匂いは貴方だったんだね。……これ、『白の国』の兵士たちにやられたの?」  少女が真剣な声色で問うと、獣はこくりと頷く。驚くことに、この獣は人の言葉を理解しているらしい。だが、その間にも左目からは血が滴って地面に流れ落ち、赤い血溜まりを作っていた。彼女は溢れるものを掬い上げるように、優しく傷の下を撫でる。  白く細い指先が、何かに耐えるように、ふるりと震えた。 「……ごめんなさい」  少女が目を伏せた。表情を揺らしたことで淡麗な面が歪むことはなかったが、その声色は苦々しい。何かを堪えるように息をする彼女に、獣は不思議そうに首を軽く傾ける。それはまるで、何故謝るのか、と少女に尋ねているかのようだった。  獣の様に少女は腰元の袋を探る手を休め、何処か曖昧な、贔屓目に見れば微笑みと取れる微苦笑を浮かべた。 「あの兵士たちは、ここで私を探しているんだよ。普通ならこんなところまで入っては来ないもの。だから、私のせい。……ごめんなさい」  淡白に吐き出された言葉は木々のざわめきに溶けてゆく。彼女は数本の薬瓶を取り出し、蓋を開いた。薬瓶の中には半透明の液体や緑の粉など、言ってしまえば怪しげな物品の数々が詰まっている。 「少し染みるけど、我慢して?」  獣の目から流れ落ちる赤い体液を軽く拭い、緑色の粉を傷口に擦り込む。『合成獣』は刺すような痛みに一瞬身を引いたが、彼女が装飾のない毛の部分を優しく撫でると、自然と大人しくなった。  指先から伝わる仄かな体温と鼓動が、互いに生きていることを実感させていた。
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