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「なっ!? き、貴様っ! 我らが王のご命令だぞ! それを分かっているのかっ」
「私は『黒の国』の住人。貴方たちに従う理由はないよ」
「待てっ!」
少女は外套の裾を翻す。兵士の面々は槍を構えたまま、走り出した少女を追い始めた。
しかし少女は軽々と木々の間を疾走し、彼らを引き離してゆく。この暗闇の中でも、まるで全てが“見えて”いるかのように。
焦りから、兵士の一人が舌打ちした。漸く発見したのだ。ここで逃がしては、国の兵士の名が廃る。何としても捕まえなくては。
「……いや、あっちは崖だ! 追いつめたぞ!」
誰が得意気に声を張り上げ、また誰かが意地の悪い笑みを口許に湛えた。
一方、追われる少女が一足先に行き着いた場所は、まさしく断崖絶壁。険しい崖の下には、轟々と唸りを上げる川が流れている。落ちてしまえばひとたまりもないだろう。少女の華奢な身体など、いとも容易く手折られてしまうに違いない。
しかし、フードに隠れた表情に変化はない。恐れも、焦りも、何ひとつ。
「追いつめたぞ、観念しろ。貴様に選択権などないのだと知れ」
兵士集団の中で三十代半ば程であろう男が前に進み出た。他の兵士の畏まった様子からして、どうやらこの男が隊長格であるようだ。
男の言葉に、少女はふっと口元だけで酷薄に笑ってみせ、爪先でこつりと地面を蹴り付ける。
その刹那。
腹の底に響くような音と共に、兵士たちと少女を分かつように地面に亀裂が走った。何の予兆もなく抉れた大地に男の声が上擦る。
「なっ、貴様何をした……!?」
後ろで控えていた兵士たちは慌ててその場から離れ、崖先に立つ彼女を仰ぐ。悠然と、少女は今にも崩れそうなそこで首を緩く傾ける。
「別に、何も? ただ、ここに亀裂が入ることが分かっただけ」
「何を馬鹿なことをっ!」
僅かに引き吊った表情の兵士の叫びに、少女は少し意外そうに表情を変えた。尤もフードを被っていた上、些細な変化だったので、兵士たちには分からなかったのだが。
「……ああ、なんだ。知らないんだ。貴方たちの使える王が、私を欲しがる理由」
理由を悟った彼女が、嘲笑と共に呟いた。澄んだ声は冷ややかに夜の隙間を通る。
やはり、彼らはただ連れて来いと命令されただけのようで、誰もこの質問には答えない。否、答えられない。知らないなどと言いたくないのだろう、彼らのプライドの問題だ。
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