-序章-

10/10
前へ
/64ページ
次へ
きっと泣いている。 今まで彼女が泣いた時は頭を撫でながら涙を拭いていた俺の手も震え、足は固まり、彼女に手を差し伸べる事も、彼女の元に行く事も出来ないでいる。 今彼女の名前を口にすると俺まで泣き出しそうで、不安で、怖くて、何も出来なくて、何も言えなくて・・・。 浴衣の袖で涙を拭きながらもう一度だけ彼女が俺を見ると、巾着から何かを取り出し、動かない俺の膝の上に置くと、背中を向け、小走りで祭の明かり、人混みの中に消えて行った。 遅いはずの彼女の足がやけに早く思えた。 彼女を追いかけろ。 追いかけろ。 後悔するぞ。 追いかけろ。 頭の中で何度も何度も繰り返し、それでも俺は動けずにいた。 震える俺の足の震動で地面に落ちて開いた彼女の置いた紙に見えたのは、涙の跡と小刻みにズレた字で書かれた、彼女の気持ち。 彼女らしい短い文で書かれた、だけど、強く大きい気持ち・・・たった一言。 『さようなら』
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加