~遠い記憶~

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一方、関西、 上方落語協会は、 存在するも、 落語家の所属する プロダクションに 権限があり、 各興行会社が、 独自にプログラムを 組んでいた。                   大阪の難波にある 《ワッハ上方》に 歴史資料として、 当時使用の【鼓】が残る 『えっ~万歳の骨董品』のフレーズが有名な 《砂川捨丸・中村春代》の 万歳から           早慶戦のネタで知られる 《横山エンタツ・花菱アチャコ》の 漫才に変わる頃、                上方落語の重鎮の 相次ぐ死で、 上方落語は、滅びかけた。                      そんな時代背景もあり、 落語は、 漫才に押されっぱなしであった。
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