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もう二度とこうして会う事はない。長政にとっては自明の事だ。しかしそれを改めて思うと、昨年の鶴田の光秀が脳裏をよぎる。
あの時の、なまめかしさ。
今から長政がしようとしている事を分からぬ筈がないものを、それとは真逆といっていい、まるで公務中だとでも言うような謹厳実直な顔で見返してくる。
あの時そこにいたならば誰が見ても思い至るだろう今こうして向かい合う男の心中に、長政は奪うように光秀の空の手を掴んだ。
「あなたは越前殿を信じておられるのですね」
だが、光秀は長政に掴まれた手など関係なかったらしい。いっそ無邪気に微笑んだ面から滲み出た余裕に、……出てきた言葉に、一瞬怯む。
「弾正忠より上様が信じるに足る方だと思ってよいのですね」
弾正忠より――。
それはまるで光秀が真実義昭を奉じているかのように、見えた。
決して老いを感じさせない麗しさを見せ、さらりと吐いてみせた忠心に茶番を演じようとしているのか、それとも万が一本心か。
そっと握り返された手に、長政はざわりと背が粟立つ。判じかねようと、疑わしきは始末すると断じた己が、閃光のように瞼をよぎった。
――この、情事に慣れた体の男は信長とも関係を持っている。
間違っていようといまいとそれで充分だと、義昭はほざいた。が。
「弾正忠と通じておられる方の、言葉とは思えませぬな」
体を引き寄せ風情も何もなく、ただ組伏せても抗わぬ肢体を衣越しに撫でる。つまらなさにその耳朶に唇を寄せ囁いてみても、冷たささえ湛えた眼孔は揺らぎさえしていなかった。
「……それは上様が、そう思われていると、いうことですか」
光秀はそれだけ言うと小さく溜め息を吐いてみせた。
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