456人が本棚に入れています
本棚に追加
いつの間にか、外の雨音は止んでいた。軒に渡した雨樋に罅でもあるのか、ほとりほとりと水溜まりを打つ水滴の侘しい音が、途切れながら長政の耳に届く。閉めきった雨戸越し。部屋の中は夏までまだいとまがあるも、寒くはない。
実務的に互いを重ねて後に、それの楽しさの余韻さえ察せないなど長政には初めての事だった。常に女からも望まれ続けている経験が、まるで屈強さと端正さ故と――外的要因からだと、断じられてしまったかのような屈辱さえ覚えている。それを感じる自らさえ情けなく、長政は床にあぐらをかいたまま、わなわなと震えだしそうになっていた。
微睡む様子もない夜更けも夜更け。行灯のうすらぼんやりとした明かりを頼りに、光秀は未だ湿り重く見える長着に袖を通している。
育ちを窺わせる立ち居振舞いと、手際のよすぎるそれを苦々しく見上げれば、不意に視線が通った。
冷徹な、怜悧な、鋭利な、瞳。
見下ろす不遜な姿に長政は息を飲んだ。
四十を越えたはずだと言う脂の乗った時期に、違和感なく他人の下にあれるだけで異常だと、思う。
一回りも年の離れた長政を、あしらう迄もなく、軽く噛み付かれた程度だと思っているのかとも、思う。
憎たらしいほどに光秀は妖しかった。――厳然として、尚。
烈しく攻めなかったのは明日……夜明け次第出陣し、信長に従軍させねばならぬからだ。戦場で馬に乗らない頭は狙い難いからだ。
――蕩けさせられなかったのは、だから、だ!
この程度かと言わんばかりの麗容の男に、長政はなじりたくなる思いをぐっと抑えた。
――こんなことなら最初から、あの柳の下で見つけなければ良かった。
間違いなく長政を待っていた。だからこそ、乗り換えるつもりだと笑った。媚びろと手を掛けた。だが、そうではなかった――
そう。
無かったことにすればと思い描いた時だった。
不意に光秀が面を緩ませた。早春雪の下、梅花が綻ぶように。
最初のコメントを投稿しよう!