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何せ相手は『格下』。守護代のまだ下の、一武士の家柄の男に兄貴面をされ、屈服させられていては、器量を買われ総領の座についた長政にとって痛い。
その権勢は一昔前の阿波守長慶を凌ぐにしても。
長政の血肉沸き躍る興奮はいよいよ抑えがたく、蜘蛛の子の様な信長軍を蹴り散らかしたい衝動が胸を焦がす。
長政の軍を知らせる旗印が篝火に揺らめく度に。
「赤尾、ここは任せるぞ!」
胸に迫るような、闇に吠える餓狼のような。
奥に控えて勝利を待つのは性に合わない。
長政は言うや否や、馬尻に鞭を打った。
──今夜で終わるのだ。
自軍には篝火に映える白絹の鉢巻きを頭に結ばせている。それ以外をねらい、幾たびも刀を振りかざした、その足が赤い鮮血にぬらぬらと光っていた。
──市の為にも。
それは長政の心からの思いではなかったが、彼の側室たる女は既に長政がこうしてある一助になっていた。
流される以外にない女の中にありながら芯は誰より長政に近かった。
その、恨む先も、愛し方さえ。
若武者と言われ久しい身体が、縦横に駆け通す。横一文字になぎ払い、油を飛ばしながら、腕にまとわりつく何もかもを蹴散らす。その爽快感に酔った。
手綱などとらぬでも自在の愛馬。
その自在さが吹き荒れる野心を駆り立てて長政ののどを焼く。
闇夜を地でいくこの街道沿いは、間違いなく血を吸っておどろだった。
悲鳴、怒号、掛け声、奇声、悲鳴、唸り。
濁った刃には撫で斬る鮮やかさもないが、力ずく抜き貫くぬるい肉の感触が澱のように腕につもる。
それは絶ちがたい、生きているという強い哮りだった。
己という確固とした命が強さに耽溺する快さ。
命を刈る神にも似た裁きの与え手。
弱さを甘受するしかない愚かさへのバチ。
その、絶対的優越感を、何と呼ぶのか──。
長政はあるまじきことに、見境を失い逃げ狂う部隊をほふることに夢中となっていた。
本来ならしなくてはならない指揮も、統率も、何もかも見失い、闇の中の獣のように。
その──
長政が刃をひらめかせ、くぐる守もなくなったや否や。
長政の背を激しい寒気が走る。
と。
その脳天を、金棒ではり倒されたかのような衝撃が襲った。
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