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──思うより、当てすぎた。
暗闇の中、いや、遠く近く、漁り火のごとくの追い立てる松明を微かに照り返す武骨な打ち出しの兜の内で光秀は僅かに顔をしかめた。
周囲は味方に当てぬ為に腕のない者が次々と火縄の空砲を撃ち、まるで竹炭の焼き場のような爆発音に満ちている。相手がどれほどのものか誰にもわからぬ。だがこの金ヶ崎に於いて信長に反旗を翻さんというのなら、万を超えぬ筈がなかった。しかしその中で此処にいるのは殿を買って出た秀吉を別として、佐々成政の部隊から名乗り出た数百と、光秀の手のもの僅か五十。──勝機ならないこの死地にあって、光秀は未だ信長の妹婿にある利用価値が惜しかった。
いや。
信長の、妹に対する思いが幾らあるかを計りかねていた。
市の名高い美しさを、信長がどう扱いたいか、光秀には判らなかった。
──ならば、刃向かう気を殺ぐしかない。
此処で死ぬなど、本望にすぎて恐ろしさなど微塵もない。だがだからといってその人が後に己をどう思うかを考えれば、慎重にならざるをえないのだった。
光秀が兜飾りを撃ち抜いた長政は夜目にふらふらと馬に体を預けつつ少しずつ後退して行っている。
それでもその周りでは信長の兵卒が次々と討ち死にしていく。
早く、早くと、光秀は信長の逃げ延びる時間の、一刻も早くをじれながら、自身も微かな明かりを頼りに早合を詰め込んで撃ち放っていった。
その人さえ生きていれば、それでいい。
そう思う隅で、この場をくぐり抜ければどうなるか。薄々光秀は知っている。その人に近付けることが、解っているからこそ。
その頭が長政を生かさなくてはならないと、光秀を操る。生かして、くっさせればどれほどの助けとなるか。だからこそ信長は妹を嫁がせたのだから。
長政の鈍く照り返る南蛮仕立ての兜は、吹き飛んだ飾りを無くして見当をつけ辛くなってきていた。本来狙っていた旗印は何があったか傾いでいる。
皆が無言で砲を放つ。彼方では何処かから上がっている炎が空を照らし、墨染めの雲を僅かに照らしていた。
何とか。
そう、思わずにおれない情勢。
光秀のいるのは金ヶ崎の逃げ口としてはやや北東。もう少し奥へ、誘う為の布陣だった。此方は圧倒的な劣勢。となれば少しでも有利な場所へ誘導しなくては只の犬死にだと、曰った秀吉の爛々とした瞳を思い出す。
──あの顔は笑っていた。
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