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死ぬことを恐ろしいと感じる一方で、光秀は痛みに、その欲する所を為したいと身を投げそうになる。
あの方に、それでも望まれぬやも知れないなら。それならば、もう……と。
この痛みがあの方の縁になればいい、と。
だが思い切ることなど、出来なかった。出来はしなかった。
信長の差し伸べる手。
信長の投げる眼差し。
信長の、触れた肌の熱さ。
信長の息遣い。
雷撃のような激しさ。
体中がそれを再び感じたいと嘆く。
それはつまり、己が狂おしいほど生きたいと叫んでいると同義だった。
生きたいと嘆く事を、浅ましいと思っていた。目的もなく無為に過ごしているのではと、己を振り返った時期もあった。願いが妄想に過ぎず、独り善がりに酔っているのではないかと。
──だがそうではない。
自分の生きたいという願い。
何処か誰かに望まれたいと縋っていた。
あの方のことでさえ。
あの方に望まれたい。明智郎党に流石は統領と言われたいと、その賞賛を浴びたいと願っていた。
皆に推挙されて、その上であの方の元に望まれたいと、それこそ浅ましく浸っていた。
その願いこそが身勝手で、今こうして向かい来る敵を薙払う自分と矛盾する。
仕方のない事だと主張しても、光秀は遠退く意識で承知していた。
誰かを押し退けねば生きては行けぬ。
生きたいと願う自体が他を圧せねばならない証拠だと。
後の世に金ヶ崎撤退戦は多く秀吉の手柄が喧伝されている。
疋田、手筒山、金ヶ崎城を落とした信長が突然長政に裏切られた。そこを殿を引き受けた秀吉が助けて命からがら信長は事なきを得たという。
殿とはこの場合、簡単に言えば信長を逃がすための囮、人垣。信長が退却する事はこれまでの戦で信長が一時の勝敗に強く拘らない事から明白だった。──実際信長は生涯大局的には勝っていても小競り合いでは負けている戦が秀吉より多い。
多分に退却が読まれている。
これは秀吉からしても戦略的に見てかなり選択肢が少なくなる。逸話は様々にあり、何が本当か真偽は分からぬ。ただ信長が離叛に対し直ぐ様退却を決め、秀吉、家康、成政らが殿軍を買って出た事。それは間違いない。
そしてこの時点で後に秀吉の参謀として有名な竹中重治も信長の軍門に有った。──この撤退戦の筋書きは秀吉に請われた彼のものであった。
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