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周知の通り竹中重治は元々信長の臣下だ。献策も当たり前ではあった。だが、この策は信長の為の策ではなかった。重治の秀吉への強い願いの籠もったもの。
猿だの鼠だの、関白だの。様々に呼ばれることになる彼は、部下を愛す男ではない。部下に愛される男だった。または、友だと思わせる術に長けていた。だからこそ山崎で機先を征することができたのだ。
しかしその秀吉としてもこの金ヶ崎にあって
目下最大の懸念は、己の命に違いなかった。その為に、否、信長という命の行方を左右する相手のために、全力を尽くしている。
光秀はそれを欠片も疑わなかった。
そして秀吉も、光秀が一命をとしてそれを援護すると疑わなかった。
この時点まで秀吉は光秀がどれ程信長を慕っているか──信長が光秀をどう扱いたいかさえ──ほぼ正確に理解していた。それこそあの本能寺の直前まで。
その上でそれに変わりがないことを信じ、光秀の最期を唾棄しながら案じ、だがその完徹を疑わなかった。
一方。
明智勢にあって信長に従えと命じられた弥平次は、主の乗るはずだった馬に乗り、主の守るはずだった人間を守る一団に在った。
追いすがる敵を打ち倒しながら、一人、また一人と脱落していく。この時点ではただの一兵卒にしか過ぎない身にはある種絶望感しかない。
冑の中、きつく結んだ紐が顎に擦れる。鈍った切れ味のまま振り回す槍の柄が軋む。馬蹄の蹴る死骸は時折呻きと罵声と踏みにじる肉の混じった魍魎のような音を立てて、男の千々に乱れる心を狂わせようとする。
何度も鞭を当て、僅かに後方の信長に食い込もうとする輩を凌ぎながら。
弥平次の命はその人の物だった。初めて会ったときから、父に命じられる遥か以前から。
世界が違うと初めて感じた。
この弱肉強食の世にあって、それを全く感じさせない所作。優雅な立ち振る舞い礼儀正しさ。
人目を引きすぎる容姿はその人には毒でしかない。
そんなものがなければ、光秀は、未だに一城主で在ったのではないかと、弥平次は何時も歯噛みしていた。
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