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毘沙門天の化身と謳われた、越後の戦国大名、上杉謙信が急逝したのは天正六年(1578年)三月九日のことだった。
妻を娶らなかった謙信には世継ぎとなるべき実子はなく、その候補として、二人の養子がいた。
上杉景勝と上杉景虎である。
景勝は謙信の姉、仙桃院(せんとういん)の次男で謙信の甥にあたる。
景虎は永禄十二年(1570年)に結ばれた「越相同盟」により上杉家に人質として差し出されたものの、その才覚に惚れ込んだ謙信が、仙桃院の娘を妻として娶らせ養子とした、小田原北条氏康の七男である。
この二人が上杉家を二分し家督を争ったのが、世に言う「御館(おたて)の乱」である。
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