御館の乱

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 この乱は謙信が世継ぎを決定していなかったことに起因するが、引き金となったのは、その世継ぎを末期に告げたという遺言にあったと言われている。  「お世継ぎは喜平次景勝様、御中城様にございますぞ。」  そう、城中にふれ回ったのが、謙信の最期を看取った唯一人の人物、仙桃院であった。 一同はその言葉に驚きをもって応えた。  容姿端麗、明朗活発とすこぶる評判の良い、謙信と号する前の名まで受け継いでいた景虎ではなく、滅多に口を開かず、人前で一度も笑ったことのない、「鬼瓦」とまで陰口をたたかれている景勝が世継ぎだなどということは、一部の家臣を除いては想像もつかないことであった。そんな景虎方の家臣をはじめとする混乱に乗じて、景勝の近習として謙信からのおぼえもめでたかった樋口与六(ひぐちよろく)ら景勝側近の譜代家臣は、あっという間に春日山城の本丸、金蔵、兵器蔵を占拠。その年の三月二十四日には、景勝自身が謙信の後継者であることを内外に宣言し、景虎を城外へ追い出したのであった。景虎は前の関東管領、上杉憲政の居城、御館へと逃れ両派の対峙が始まったのであった。
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