16人が本棚に入れています
本棚に追加
石畳の通りは静かで人影もない。月が2人の影を揺らすのみである。
「クルージは今年でいくつになりましたかね」
「え~と、12歳です」
「そうか、もうそんなになるんだ」
「先生んとこは?」
ルーアンの右側を歩くゲーラが見下ろすように尋ねる。
「うちは上の『ハーメル』が8歳で下の『メルミ』が6歳だよ」
「じゃ、可愛い盛りですね」
「そうかなあ。2人ともやんちゃで困ってしまうが……」
「元気が何よりですよ」
ゲーラはそう一声上げる。ゲーラは町外れで鍛冶屋を営んでいた。家族は妻の『ライヒ』の他に3人の子供、クルージはその一番下の子供であった。
「先生、それより、国境近くに『フェルトブルク』の軍隊が進攻して来たっていう話は本当ですかい?」
「うん、そんな事を聞いている」
リュッセルの町はリーメル王国の東部に位置し、首都『リッツ』から 200キロほど離れた、周りを森と小高い山に囲まれた人口5000人足らずの小さな町である。主産業は林業と鉄鋼業だが、今やローマ教皇の力が衰えて群雄割拠の時代、リーメル国の周りに乱立した諸候がリーメルの豊かな鉄鋼石を狙っているという状況にあった。
「じゃあ、間もなく戦争ですかい?」
「そうならない事を祈るばかりだね」
このリュッセルの唯一の医者がルーアン。だから、夜中の往診などは日常茶飯事であった。歩きながらルーアンは前方を見上げる。
遠くの高い鬱蒼とした山陰(やまかげ)の上空に煌めく満天の星。時折、土煙を巻き上げて足元をゆっくりと過ぎ行く春の風。更には栗の花の独特の匂い。この匂いが強まって来ると町外れのゲーラの家はもう近い。
最初のコメントを投稿しよう!