ガラスの都、タヒチ・ドーラ

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 エーヴァは拍手喝采を浴びて舞台を去った。金髪の付け毛が風になびき、少しだけ鉄色の髪がのぞいた。  ウィーナが大きくため息をついた。エーヴァの歌声に母の面影を感じたのである。 「兄さん、覚えてる?母さんが子守歌の代わりに歌ってた曲を」 「うん。覚えてるさ」  双子の母、ジラ・サドラーの立った舞台である。彼女は正気を失い、命さえ狂気に蝕まれつつあっても寝る前の子守歌は死ぬまで忘れなかった。断崖へ向かって走った最期の時も、身を投げて暗い海に呑まれるまで歌い続けていた。  場面が切り替わり、再びエーヴァが出てきて歌う。その姿に生前の母、絶世の歌姫の姿をまた重ね合わせた。死に際のやつれ果てて目が血走り、意思疎通さえままならなかった母の記憶は薄れ、美しい威風堂々とした力強い母に取って代わった気がした。 「お前らの母さん、この舞台に立ったんだろう?」 エリックは感嘆しながらつぶやいた。 「まあね……、昔々さ」 兄妹は感慨と幼い頃の憧憬に心奪われていた。十七年間の中で一番幸せだったあの頃の記憶に――。
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