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世の中は常に平等で、それ故に不公平だった。
そんなことが頭を過ぎり、ゆっくりと目を開いた。寄り掛かっていた壁から離れ、すぐ隣の扉のない廃墟に入る。
使命を果たすために。
男の子は泣いていた。
床に膝を、小さな手をついて、大きな涙の粒を零していた。
汚れた床に、汚れた壁。汚れた服に、汚れた顔。
じゃり…。
黒い髪の黒い服を纏ったそれに、男の子は顔を上げた。初めて見たそれを、悪魔のようだと思った。
「…なぜ、泣いている」
発せられた言葉に、男の子は血で汚れた頬を手で拭って答える。
「…お、父さんが…し、しん……」
言葉は最後まで続かず、薄暗い空気に溶ける。
日が小さな窓から差し込み、橙色に空間を染めた。
男の子の少し手前の闇に、男が血を流して倒れていた。新鮮な血は、あまりにも明々していた。
男の子は泣き続ける。枯れることを知らない、そんな様で。
「……」
黒い髪の奥の目が、細められた。
「…お前は、生きるのか?」
男の子が目に涙を溜め、黒いそれを見上げる。
「死ぬのか?」
瞬間、男の子は目を見開いて首を横に振る。開閉され、歯はがちがち鳴る。
「…だ…」
血が、男から滴る。
「…やだ!」
男の子は投げ出された刃物を手に取る。錆び付いた刃物の切れ味は、期待出来ない。
「やだぁ!」
叫び、すでに息絶えた男に刃物を突き立てた。
男の子の腕力では刃物は浅く刺さるだけで、血が少し流れただけで…。
「うあぁぁぁ!」
叫び、泣き、何度も刃物を握る。血で滑り、刃物を落とし、拾い、突き立てる。
「やだぁぁッ!」
男の子が、返り血を顔に浴び、刃物が抜けなくなった。深く刺さった刃物を見る。
自分の腹に刺さった刃物を、見る。
口からどす黒い血が吐き出され、顔は痛みと涙で彩られる。
男の子は這うように男の死体に近付き、涙を流した。
「…は…」
言葉にならない言葉を、吐いた。
「…ぼくは、お父さんといっしょが、いい―…」
目が開いたまま、男の子が動かなくなる。
願望を手に入れ、欲望を切り棄てた男の子の目は、ぴくりとも動かない。
冷めた目で二人の死体を見下ろし、黒い瞳は何も語らず、廃墟を出た。
日が、沈みかけていた。
きっとあいつだったら、今の光景を止めるだろう。
そう思って、そう出来ないことに気がつく。
何も出来ないことに気がつく。
黒い瞳は、それでも何も―…。
空を見て、目を閉じる。
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