第三次川中島決戦

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なんとか上杉の軍勢に追い付き、善光寺攻めに加わるが、既に信玄の罠にハマっていた。 善光寺は主力の激突を避けたかった信玄の餌であった。 その年の七月、信玄は北安曇郡小谷地方を計略する。 罠に気付いた謙信はこれ以上の被害を出さぬために軍を翻した。 そして謙信と信玄は川中島地方の上野原で衝突する。 今回の合戦は前のようにただ正面から激突するだけのものではなく、凄まじいまで頭脳戦が繰り広げられた。 氷室の部隊も明池の作戦により、敵を攻撃、また反撃を喰らうなどまさに一進一退の攻防であった。 だが、突如上杉軍は撤退を開始する。 合戦前からの信玄の計略によって善光寺付近と戸隠地方が武田の手に堕ちそうだったのだ。 このまま戦えば勢力を拡大した武田にじきおしまけてしまう。 そう考えた謙信は全軍に撤退を命じた。 かくして氷室らの善戦虚しく上杉は武田に惜敗してしまったのだった。
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