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宿敵との講和
話を遡れば、そもそも第二次川中島決戦が起こったのは謙信の善光寺攻めと信玄の旭山城攻めが原因である。お互いに相手の領地に攻め入り戦っていたのだがお互いに城は落ちず、川中島での主力決戦になったのだ。
上杉、武田の両軍は川中島に到着したものの既に兵士は疲れたきっていてまともに戦える状況ではなかった。
そして長時間の睨み合いが始まった。その緊迫した状況を打ち破ったのは【今川義元】であった。
『謙信公、信玄公。もはやお互いに長時間戦える力は残っておりますまい。ここは和睦するのがよろしいと存ずる。』
義元はこの戦いを仲介する事によって恩を売ろうとしたのだ。
謙信も信玄も不服であったが義元の提案をのみ、直接的な激突はせず、本国へと帰っていった。
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