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「……刀を持った4人の男達にたったひとり木刀で立ち向かったから」
朱里は顔を上げる。
「だからあなたは薬屋の姿をした強いお侍さん」
あどけない少女の笑顔は、春の優しい日溜まりのようだった。
遠くから老夫婦がこちらに声をかけている。その相手が朱里の事だと気がついた青年は
「それは少し違う」
屈んで朱里のやわらかな髪をくしゃりとなでた。
「お前、名前は」
「朱里(あかり)。お侍さんは?」
「俺は侍じゃあない」
青年は薬箱を背負い直して土手の上に駆け登った。その時、『石田散薬』と書かれた旗が大きくひるがえった。
「俺は歳三。石田村の薬売りだ。今は武士じゃあねぇけど、そのうち必ず武士になる」
逆光で歳三の顔は暗かったが、朱里にははっきりと見えた。
「朱里の事、覚えたぜ。またな」
歳三の希望に満ち溢れるぎらぎらとした眩しい瞳が。
風が吹いた。草が大きく揺れた。
老夫婦が朱里を連れ戻そうとしても、彼女は歳三の姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
黒船来航のわずか3ヶ月前の出来事だった。
嘉永6年(1853年)
歳三 19歳
朱里 11歳
…続く
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