水中都市

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水中都市

忘れられた水中都市で、夢を貪るサイコパスが一人佇んでいた。垂直に落下する石の町並みに腐乱した草花が咲き誇り、眼の無い魚達が紺碧の闇に漂う。遠い日の恋がサイコパスの胸をよぎり、切り付けた左手首の傷口から覗く目玉が、垂れ流した赤い涙に、草花が踊り狂う。花達の夢から醒めた分裂病の少女は木綿の布を纏い、黒く長い髪を、白い指で弄ぶ。「あなたは何処ですか?」猫の眼で微笑みながら、呟く少女の影に怯え、サイコパスは死んだ街並に溺れる。「あなたには、顔がないの?」ミュージアムで見た絵画の中の少女が手を伸ばし、彼の頬を撫でる。青ざめた頬に、冷たく柔らかい指先が触れた時、闇の中で少女が笑った。「あなたは、歌えないの?」空の無い空が歪みを帯び、彗星に跨がる魔女がパイプオルガンの声で狂ったように笑う。左手首の目玉が猫の眼で笑っている。彼のいびつな骨が薄い皮の下で笑った。「あなたのお母さんは?」ある秋の日に、父を殺し、母は静かに狂死した。楡の木の下で、大人達が冷ややかに笑っていた。「あなたは、汚いの?」眠り姫は白い木綿のドレスを纏い、狂人と戯れる。私は愛を貪る獣、神に仇なす絵かき。水中都市を混濁の月光が支配し、サイコパスは森に沈んだ墓へ、分裂病の少女は、紅い花が散った沼へと向かう。古代魚の群は、街を揺らし、夢を塗り替える。「やっと、逢えたね」。紡がれた糸を、緩やかに細い指でほどき、長い舌は赤い実を啄む。黒い波に溺れる意識は、白い曲線を歪める。 夢を夢で汚す。 だが、気がついてしまった。 「あなたは、誰ですか?」
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