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中途半端な位置で止まった頭の、その視線の端で彼女が壁際に立っているのが見える。 しかしその姿が、薄闇の中に混じるように希薄になって行き、俺の視界の中で音も無く、さっきまで人だったものが、「気配」になって行こうとしていた。 ドアの向こうの闇から、なにか目に見えない手のようなものが伸びてくるイメージが頭に浮かび、俺はドアノブから手を離して逃げた。 背後でドアが閉じる音が聞こえ、彼女の気配がその中へ消えていったような気がした。 自分の部室に戻ると、みんなさっきと同じ格好で同じことをしていた。 胸を押さえて座り込むと、師匠が薄目を開けて「無視しろって言ったのに」と呟いてまた寝はじめた。マリオはタイムオーバーで死んでいた。 その後、ときどきあのサークル棟の端の一角を気にして、通りすがりに廊下から覗き込むことがあった。 昼間は何事もないが、ひとけのない夜には、あのドアの前のあたりに人影のようなものを見ることがあった。 しかし大学を卒業するまでもう二度と近づくことはなかった。
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