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お爺さんがライン引きを押し歩く。その後ろに、私はいました。
ライン引きから出る白い粉の量が、少なくなってきた気がします。
それでもお爺さんは、黙って歩くのです。
お爺さんが大きな杉の木の前を横切りました。
大きな大きな杉の木。その木の横には、人が通れそうな坂があります。
あの坂の先には、何があるのでしょうか。私は気になりました。
しかし、お爺さんはその坂にラインを引きません。
お爺さんも、『道』を歩いているようです。
私は、お爺さんに着いて行きました。彼の後ろが安全だから。ラインの上なら、安心できるから。
やがて、お爺さんは立ち止まります。
目の前に小さな小屋が建っていました。お爺さんが静かにその中に入っていきます。
私は少し迷った後、小屋に入ることにしたのです。
「おじゃまします」
招かれてもいない私の、精一杯の礼儀でした。
「いらっしゃい」
お爺さんが、初めて口を開いた……。
お爺さんは木製の椅子に腰をかけ、火を焚き始めました。
そして、居場所を探す私に、小さな椅子を差し出してくれました。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」そこから私達の会話は始まったのです。
「お爺さんはここに住んでおられるのですか」
「うむ」
暖炉の火がパチッと跳ねる。
「いつからライン引きを??」
「さあ、いつだったかな」
もう一度パチッと火が音をたてる。
「では、なぜラインを引くのですか?」と訊こうとした時
お爺さんが言葉に割って入ってきました。
「君は何故、ここに来たのかね?」
え……。何故……、と言われましても。
私の反応を見て、お爺さんは続けた。
「君はどこに行きたいのかね?」
私は口ごもりました。行く宛のない私だから、ここに居るのです、とは言えなかったのです。
それは小さなプライドでした。
「私は。私は坂の先が気になります」
私の答えは、即席の回答。
どこから出てきたのでしょう。大きな杉の姿と、あの坂の姿が浮かんだのでした。
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