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「だからといって、神様は絶望を抱えて生きていきなさい、なんて酷いことは言っちゃいない。約束されていないからこそ、私たちは明日を望むことができるんだ」
驚くほど、幸恵は静かに話を聞いてくれた。
「だからね、幸恵。来ないかもしれない明日という日に、今日の自分を後悔しないよう、……思う存分に笑って生きなさい。そして精一杯に人を愛しなさい」
幸恵の返事がかすれて聞こえた。聞き取りにくいが、大切な一声だ。
私が話しを終えると、幸恵は再び涙を流し、遂には疲れて眠り込んでしまった。
幸恵に毛布をかけ、私は寝室に戻った。
私も今日は疲れてしまった。そろそろ眠る時間だ。
日記帳とペンを片手にベッドに腰掛けた。
見上げると、クローゼットの上に赤い目が二つ浮かんでいた。
「……ブッチか。驚かさないでおくれ」
父の映像を見た時から、予感はしていた。
今日、ブッチが映し出してきた映像は全て、その人の最期を撮影したものだった。
最期をみとる猫が、再生の為だけに私の前に現れたとは考えにくい。
おそらく、私の分を録画しにきたのだろう。
日記帳の一ページ目を開いた。皮肉にも、最初の一ページが、最後の一ページになるのだ。
「はは、やはり遺書も必要なかったようだよ幸恵」
あの赤い目、録画が始まっているのだろうか。
ペンを走らせながら、猫に語りかけた。
「いいかいブッチ。笑顔の私を、その目に焼き付けておいておくれよ。あの子がいつかこの映像を見た時に、笑顔になれるように」
書き終えた日記。重たい体に鞭をうち、クローゼットの底板の裏に隠した。
「ちゃんと今のも撮ったかい??」
ブッチは喉を鳴らした。
私は運良くここまで生きてきた。
いつ途絶えるかわからない笑い声達が、沢山この鼓膜を揺らしてきた。
その為衰えた聴力だから、自慢に思う。
暗澹と佇む老人の部屋。
明日がきた日々の回想にふける。
記憶の中の笑顔達が蘇る。
私は笑えて幸せだった。
明日を迎えない眠りに就く。
録画猫がそっと、瞼を閉じた……。
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