茶話休題:4「マヨネーズ」あるいは「マヨネーズ」について

2/3
前へ
/22ページ
次へ
『キューピー』は1922年に中島董一郎氏が、設立しましました。 さて、中島氏とはどのような方だったかといいますと、 1883年に愛知県で生まれておられます。 旧制中学卒業後、水産学校に進み、その時バイト先で、海軍兵学校で英語教師をしていた英国人と知り合い、英語を学んだそうです。 水産学校卒業後、幾つかの職業を経験したのち、農商務省の『海外実業訓練生』の試験に合格。 最初は英国に、後に米国渡っておられます。 この時代にしては非常に貴重な経験を積まれています。 帰国後、経営困難になっていた勤め先の経営再建に尽力の後、退社。 『缶詰中次業中島商会』を設立。 更に業績を伸ばし、 1919年に 『キューピー』の前身、 『食費工業株式会社』 を設立されました。 そして、1922年に幅広い人々に愛されたいとの思いから『キューピー』を商標とし、1925年についに日本初のマヨネーズ製造販売に乗り出す事になりました。 それまでは輸入品しかなく、知名度も低かった 『マヨネーズ』が一気に普及、、、しませんでした。 初年の年間販売数は、なんと『120缶』! 原因の一つは価格にありました。 75g入り瓶詰で45銭。 葉書一枚、1銭5厘の時代です。単純に葉書の値段を基準にすると、現在の価格で、2000円以上! かなりの高級品といえますなぁ。 そして最大の原因は 『無知』 一般には、全く知られていなかったマヨネーズは発売当初、瓶の形などが似ていた為に『整髪料』等と間違える人が続出したそうでございます。 そこで中島氏は、宣伝に力を入れる事になる訳でございます。 初年度売上を越える金額を投入して、販促活動を行った結果、二年目には、1000缶に、以降確実に売上を伸ばしていく訳でごさいます。 なぜ、中島氏は多額の投資をしてまで普及活動をしたのでしょうか? 西洋人に比べ、貧弱な体格の日本人の栄養不足を改善したい! その思いからだったようでございます。 その為に、欧米式の全卵タイプでなく、より栄養の高い、黄身だけ使う 卵黄タイプ。 しかも従来品の二倍を使う。 品質にこだわった商品を作り続けたのでございます。 戦争の影響で、五年程(1943~1948)操業停止に追い込まれましたが、戦後 再開を機に、社名を 『キューピー株式会社』 に変更すると、経済成長の物価高騰のなか、企業努力の末、品質を維持しながら、十回以上の値下げを断行。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加