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もう少しでこいつはボクにとって特別な人間になるかもしれない。それは死体になるということだ。目が合ってしまったのだから、いまさらただ見物というわけにもいかないかな。
でも、諦められても困る。
けしかけたりしたら、それは法律を犯すことになるのかな。
でも、ここにはこいつしと自分しかいない。
「飛ぶんだろ、理由は分からないけどさ、べつに聞かないし、お前のこと嫌いだから。
でもさあ、飛ぶのは見たいんだよ、そっちに行ってもいいかな?」
橘がふっと笑った。
いつもの昂然〈こうぜん〉とした笑顔じゃなく、ボクに向けられた笑顔だった。
また心臓が跳ねた。
「見たいなら、そこで見てろ」
近づこうとする僕を止めて、橘は格子に手を掛ける。
今まで見たこともない映像が脳裏を過る。
潰れた何か。
時計塔の上から地上に落ちて作られるのは、橘の形をした綺麗な土色の人形ではなく、橘そのものの潰れた骨肉と血なのだと、口では何とでも言ってきたが、その画を想像したことはなかった。
いまさらになって、今向き合っているのが、夢ではなく現実なのだと知った気がした。
その途端、ずっと期待や喜びと感じられていた興奮の正体が、恐怖なのだと知った。
世界の色が一瞬で反転する。
恐怖に気付いた瞬間に膝が折れ、コンクリートに両手をついた。
(なんだこれ)
ガシャンと音がしてびくりとそっちを見ると、橘が格子の向こうに立っていた。
ゆっくりと両手を広げる。
その腕は、真っ白で立派だが、スカスカで飛べはしない翼のように見えた。
「うそだよ!!」
橘はこちらを見ない。
空を仰ぎ見ながら、今にも飛んでしまいそうだった。
(動け、動けよ)
ガクガクと震える足を進め、橘に追い縋〈すが〉る。
「ウソなんだよ!
やめろよお!!」
格子に越しにその服を掴むまでの緊張と、掴んだ服の感触にとりあえずホッとしたのとで、思わず強く引いてしまった。
というより、服を掴んだまま、その場にしゃがみ込んでしまい、橘は背中を格子に打ちつけて自分と共に床に沈んだ。
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