信じるということ

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  こんなことを書くと、時代遅れだと笑われるかも知れないが、俺は、ヤクザは職業でも暴力団でもないと思ってる。   関西の盃事には欠かせない存在だった大野一家義信会の故・津村和麿会長は言っていた。   『ヤクザとはカブ(花札博打)の8と9と3の数字なんだよ。この数はブタだ。箸にも棒にもかからないカスの数字だ。どんな弱い数にも負けてしまう。   でもな、最強であるはずのカブには勝つ唯一の数字でもあるんだ。それが893。ヤクザなんだよ。   弱い奴には負けたって構わない。立場の弱いカタギに対してどんなに頭下げたっていい。   それでいて、強い奴には絶対に負けない。弱きを助け、強きをくじく。それがヤクザだ。』       ヤクザとは生き様だと思う。ヤクザというその生き様はとても難儀な生き方だ。   ヤクザを全うする上では犠牲にしなければならないモノも多くある。   俺は自分の通り道に色んなものを捨ててきた。   道の途中にホントに大切なモノを置き去りにしてきた。   辛さやココロに負けてしまいそうになる事もあった。…血の涙を流すことと同じくらい辛いこともあった。   俺の下には、数えきれない位の俺のココロが下敷きになって苦しんでる。   そんな苦しみも辛さも、寂しさも悲しさも、誰にも見せることは出来ない。   ホントは引けば楽になることくらい解ってる。   でも…俺はヤクザとして生きてきた。   最愛の人を失うと判っていても、判っていながら俺はヤクザを全うすることを選んだ。   行く道を引けば、俺は、今までの俺の道を否定してしまうことになるから。   否定してしまえば、犠牲にしてきた色んなモノが無駄になってしまう。   俺には、俺が行き着く先を見届ける義務がある。   だからヤクザを全うする。   ヤクザを全うしようとして、その道の途中で潰れたり死んだりしたなら、それが行き着く先だったと思うだろう。   それを、全うしようともせずに自ら死んだり、逃げ出したり…俺は絶対に認めない。  
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