本能寺の変

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秀吉による陰謀説 中国地方の毛利討伐に当たっていた 豊臣秀吉(羽柴秀吉)は備中高松城(現在の岡山県)を攻略中であった。 毛利方の備中高松城の城主清水宗治が籠城を続け 主君毛利輝元の援軍を要請 秀吉も信長に援軍を要請し (この時秀吉は援軍を要請しなくても城を落とせていた) 信長は明智光秀に進軍を指示する その道中に明智軍は 本能寺に進軍し 本能寺の変となるのだが まず不可解な点がいくつかある 6月5日の時点で秀吉は 明智光秀が毛利に送った間者を捕まえて 本能寺の変を知る事となるのだが そこから 輝元の出した援軍がすぐそこまで来ている備中高松城側との和睦をしなければならない。 もちろんこの時に 信長が援軍に来たら皆殺し 今なら城主の切腹で和睦を成立させる という脅迫じみた条件を提示した ここで毛利側の安国寺坊主が清水宗治を説得している 援軍が到着するのはもう間近なのになぜ安国寺坊主は和睦を進める必要があるのか? 安国寺坊主は1570年代に 信長は部下の謀反で命を落とすと 言っており 秀吉との交流も深かったことから (関ヶ原の合戦で西軍石田側につき結局戦犯者で打ち首になる) 安国寺坊主もまた本能寺の変の首謀者の一角ではなかったのではないだろうか? と推測
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