プロローグ―悪意の序曲―

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男は懐から煙草を取り出して口にくわえた。 緊張を少しでも和らげる為に喫煙したい所だが、今はそういう訳にもいかない。 火を灯した瞬間、せっかく暗闇で馴らした夜目を殺す事になるからだ。 チラリと腕時計に視線を落とす。 作戦開始までは小一時間程残っていた。 むうっとする熱気が車の中に充満しており、隣に座る男の体臭と、お互いの体に染み着いた硝煙の匂いが漂っている。 夜だというのに気温は一向に下がる気配が無い。情熱の国とは良く言った物だ。時折頭の上を夜行性の鳥が奇怪な声を発しながら飛びかっていた。 奇声が上がる度に二人は緊張に身を堅くした。そして再び静寂が訪れるまで、張り詰めた空気の中で息を潜める。無理も無い。ここ、ブラジル・マナウスは街から少し離れれば、そこはもう深緑の生い茂るジャングルが広がっているからだ。 男達の乗った車は、街の中心部から離れた郊外にいた。ほんの数分車を跳ばせば、すぐに密林が姿を現すであろうその場所で、男達はジッとある民家の様子を窺っていたのだ。 助手席に座る男が、囁くように言葉を吐き出した。 「先の戦争からもう十数年か……。長かったな」 運転席の男がほんの僅かに頷き、言葉を返した。 「ああ、本当に長かった。しかし我々の怨讐の念は微塵たりとも霞んではいない。いや、寧ろあの当時よりもより一層激しく燃え盛っている」 助手席の男は顎髭に手をやり、夜の帳に包まれた民家を睨みつけた。 「その通りだ。奴らの手は思った以上に長かった。此処までくるのにどれだけの犠牲を払った事か。バチカンの狗どもが一枚噛んでいたとは知らなかったが。だがその苦難の日々も今日で報われる」 そう言って助手席の男は奥歯を噛み締めた。 「全てが、と言う訳では無いがな。奴らはあれだけの所業を行って、今日までのうのうと生き延びて来た。同胞達の屍の上で高笑いをしながら。思い返すだけで腸(はらわた)が煮えくり返る」 ハンドルを握る手が小刻みに震える。とっくに殺した筈の感情が湧き上がってくるのを、男は抑えられない様子だった。 チラリと横目でそれを見て、助手席の男が窘(とが)める。 「落ちつけ。もうすぐだ。もうすぐ奴らに神の鉄槌が下る。神罰の代行者たる我々の手によってな」
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