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やがて、一頻り泣き終えた彼は、先の冷静さを取り戻した。泣き続けていたせいで、ずきずきと頭の奥が痛む。
思えば、食料も水分もない、その上何時外に出られるかも分からないこの部屋で、自分の行動は少々迂闊過ぎたようだ。無駄に体力と時間を浪費してしまった。四方を囲む無機質の中で、さながら同化する事を拒まれているような白く冷たい肢体。散々悩み藻掻いた末、得る事が出来たのは、それだけである。
彼は、嘆息を漏らした。記憶を取り戻すどころか、果たして自分はこの部屋から出ることが出来るのだろうか。未だ閉ざされたマホガニーの天使の微笑みは、救済を与える慈母のそれか、若しくは、運命を嘲笑う悪魔のそれか。
ふと、彼は開け放たれたままの鉄の扉を見遣った。男が現れた扉のその奥は、奈落へ誘うかのように、漆黒に満たされている。彼自身のように、ぽっかりと四角く切り抜かれた虚空。其処は、己が辿り着く先なのか。此の男のように、その冷たく狭い柩で永眠る事となるのか。
──…嗚呼、そんな事は御免だ!
彼は、立ち上がった。何としても、自分は此処から脱出せねばならない。此の鈍色の牢獄で、何も知らぬ儘、男の屍体と共に朽ち逝く訳にはいかないのだ。
竦む体を奮い立たせ、彼は男へと手を伸ばす。この男がどんな理由で自分と共に牢獄の囚人に選ばれたのかは知らないが、恐らく、それには何かしらの理由が存在する筈である。冷たい躰に、指が触れる。視線を逸らし、体温を奪われるその嫌悪感に堪えながら、彼は男の躰を探る。屍体に触れている。そう考えるだけで、嫌な汗が噴き出す。やがて、男の胸部に到達した指先に、硬い物が引っ掛かる感触。手繰り寄せるようにして、それを掌中に収める。小さいながらも確かな重さを与えるそれに、彼は一つの確信を得ていた。やはり、この男の存在が鍵であったのだと。
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