第一章 母とオレ

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「いってくるね。」 『気をつけていくんよ。』それだけが寝室で寝ている母との朝の会話であった。 母は一度離婚しているので母からみてオレは五番目の一番下の子供になる。 昔から体の悪い母は、オレを産んで二、三年後に乳癌で手術をし、それから寝込む日が多くなったらしい。 それでも、一番下の子供のオレにはかなり甘く、やさしく育てていたらしい。 オレが泣いていると飛んできて『お母さんがきたから大丈夫だよ。』と言いなぐさめてから、『男の子は人前じゃ、泣いたら、だめよ。』とやさしく言っていたのをよく覚えている。  オレが幼稚園のころはまだ起きていられる方が多かったのたが、小学校の三、四年生になる頃には、寝込む日のほうが多くなっていた。 その頃から、オレは朝、味噌汁を家族分つくって、学校にいく前に母に「行ってくるね。」 と言っていた。 母の体調のいい日は、母が必ず卵かけご飯をつくってくれた。 一つ上の兄と「またこれやね。」と文句を言いながら食べていた。 今思えばそれが母の精一杯の朝ご飯だったのかもしれない。  中学校に入ると、お昼がお弁当になるのだが、オレはほとんど父からお金をもらい、パンを買って学校に行っていた。  高校に入学する頃にはもうほとんど寝込んでいた。オレはその頃、家に帰るとすぐに遊びに出掛け夜中まで帰ってこなかった。 母はそれでもオレには甘く帰ってきたオレにやさしく、『おかえり』と言ってくれていた。 母は体が悪いのに必ずオレの入学式や卒業式には出てくれて、必ず泣いていた。高校の卒業式にも無理やり出てくれてやっぱり泣いていた。 理由を尋ねると『あんたが私の一番下の子供だから、これが最後の卒業式になるし、他の子はでれなかったから。』と言われた。 最初の子供たちとは、学校に上がる前に離婚していたし、兄の時はなぜか、入院していたみたいだ。 しかも、オレは就職が東京にきまっていたので、そのこともあったらしい。 母はよく泣いていたが、この事はオレはなぜか、うれしかった。 それからしばらくして、東京にいく日がきた。
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