出会い

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昭和46年、浩久は今宮工業高校印刷科に進学する。まぁ実家が印刷屋であるからであろう。二人の兄も同じ道を歩んでいる。余談だが、すぐ上の兄と桂南光師は同級生であり、この事実は咄家になってから知った。 高校進学後、落語熱は以前にも増して沸騰し、よく学校をサボって千日前の寄席や、この時期から増え出した地域寄席に顔を出していた。 時代は落語ブームの真っ直中であり、同級生にも何人か落語バカがいた。そんな仲間たちと一緒になって「落語研究会」に入会し、文化祭や近所の集会所で落語をしては楽しんでいた。この「落語研究会」はその後、経営破綻(?)によりつぶれてしまった。 それからは以前にも増して寄席に通い詰める。当然勉強は手に付かず、試験では幾度かピンチを迎えていた。 当時の生徒手帳には「〇日、〇〇落語会。期末試験、やばい」と書かれている。 そんなにやばかったら行かなんだらええのに…。
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